
9月19日生まれ <乙女座 B型>
16歳の頃よりギターを始める。
1990年、アポロンより『カブキロックス』でメジャーデビュー。
第21回東京音楽祭、世界歌謡祭等に出場。
全日本有線放送大賞新人賞受賞。
2002年カブキロックスを正式脱退。
ソロとしてジャンルを超えた数多くのアーティストとの共演やプロデュース、楽曲提供、アニメ、ゲームミュージック等の製作を行う。
紫との出会い
バリーボンズがホームランを何本もかっ飛ばして、いやぁ、やっぱりメジャーリーグってスゴいんだな、さすが本場のプレーは違う。と思ってその世界に興味津々で入って行ったら、そのすごい人達と何ら遜色無く、あるいはそれ以上に絶賛されている日本人プレイヤーICHIROを発見した。
例えればこんな感じでしょうか。当然ボクをその世界に引きずり込んだボンズが象徴するのはLed ZeppelinやQueen、そしてDeep Purpleであるわけですが、となると!?そうです。ICHIRO = 紫だったわけです。
「紫との出会い」という事になると、たしか中学生の頃、TVで観たのが最初でした。でもその音楽番組(スタジオライヴ)を前々から楽しみにしていたのですから、なんらかの前知識は有ったのでしょう。
雑誌かラジオか、今となっては定かではありません。
まさしくIMPACT! 衝撃でした。音はもちろん、見た目も海外のバンドと比べたって遜色ない。ヴォーカルやギタリストの名は思い出せても「その他大勢」は・・・???では無く、メンバー全員がはっきりとしたキャラとスター性を兼ね備えている。あぁ、日本人にもこんなカッコイイバンドが組めるんだな、と思いました。
ビデオの無い当時、TVの前に置いたラジカセで録音しました。しばらく愛聴していたそのテープは高校の先輩に貸して二度と戻っては来ませんでした・・・ah。あまりオンエアものでは演奏されないであろう「LAZY」も入っていたのに。
それから後はもうお決まりの流れとして、手に入るアルバムはすべて買い求め、大学生の時に初めて「聖地」沖縄、コザにも行きました。まだバンドも始めたばかりでライヴハウスなど、出演するどころか入った事もほとんど無かったボクは、真っ昼間、お店の前(CANNON / 当時)で写真を撮って帰ってくるのが関の山でした。
そんなボクが、数年後にはド派手な衣装とメイクがウリのバンドで、髪の毛を逆立ててフライングVを振り回し、あげくにメジャーデビューまでしてしまったのですから世の中わからないものです。
そのバンド、KABUKI・ROCKSの時代には宜野湾の野外ステージにも立ちました。その日のライヴで実はむりやり紫のフレーズをオリジナル曲にねじ込んだりしたのも良い思い出です。自分なりの精一杯のリスペクトの表現だったのですが、夜だったのとあまりにも広い会場だったので、それがどの程度伝わったのか不明ですが。
マイ・フェバリットであるライヴ盤「Doin' Our Thing」発売当時、アンケートハガキに「サウンドは最高なのにジャケットデザインがフォークシンガーみたいで最悪」と書いて、メーカーの徳間に送りつけたのを今でも憶えています。その徳間関係のお仕事で、紫のプロデューサーの方と近年ご一緒させていただいているのにも、何かの縁(えにし)を感じないわけにはいきません。